心ふれあう活力あるまち−あらかわ

水と緑と豊かな暮らし

城北支会 庵谷 栄二

(RMC_2000年3月_No.222_P6〜P7_城北支会_庵谷_栄二会員の記事から転載)


(荒川区の地勢)

 荒川区は東京23区の東北部に位置しており、区役所の位置(荒川2丁目)で東経139度47分11秒北緯35度43分58秒である。
 荒川区の総面積は1,020Kmで23区中21位である。1位の大田区は5,946Kmで荒川区の約5.8倍である。荒川区は東西に長く、隅田川が区の東北部をう回して流れ、これに沿って西尾久、東尾久、町屋、南千住の各町が連なり、南西部に東日暮里、西日暮里の各町がある。
 区内の大部分はほとんど起伏がなく平坦であるが、南西部には山手大地の一部があり、通称諏訪台、道灌山と呼ばれる高台となっている。

(荒川区の人口)

 荒川区の人口の移り変わりをさかのぼると昭和18年に35万人強とピークを迎え、戦時中に一時減少したが、戦後は再び増加を続け、昭和35年の28万5千人を最高に減少し始め、昭和40年代には年約6千人前後の急激な減少を示したが、昭和50年後半からはその減少傾向も鈍化し、平成11年1月現在76,591世帯、169,808人となっている。その構成は少子、高齢化社会をその儘反映して、40歳台を境としてそれ未満の年齢層は減少、それ以上の年齢層は増加傾向にある。

(荒川区の商工振興)

 荒川区は製造業や卸売小売業が多数集積する産業の街として発展してきた。然し都市環境や産業構造の変化などの影響を受け区内産業の柱であった工場数は減少を続けている。
 人口の減少などにより売上額も伸び悩み、商店数も減少傾向にあり、さらに最近大型店の出店計画が相次いだことを踏まえ、区では地域の環境を守るため、大型店出店に対する環境保全要綱を制定した。現在、区内産業をととりまく経済環境は長引く景気の低迷や消費の冷え込みなど、大変厳しい状況にある。
 今后は区内の産業が活性化していくためには、新製品・独自技術の開発や魅力ある商店街・商店づくりに取り組むことが課題になってくる。

     産業分類別・従業者規模別事業所数及び従業員数

                                (平成8年10月1日現在)

                       資料:事業所・企業統計調査報告

産業分類

事  業  所  数

従業者数

総数

1人〜4人

5人〜9人

10人〜19人

20人〜29人

30人〜以上

昭和53年

19,367

13,620

3,342

1,349

373

538

118,040

56

19,008

13,430

3,487

1,322

376

515

115,188

61

18,063

12,815

3,319

1,239

399

491

108,374

平成3年

16,464

11,259

3,031

1,241

430

503

107,124

平成8年

15,414

10,448

2,792

1,202

423

549

106,832

 

     規模別商店数・従業者数及び年間販売額

                                      (販売額単位:百万円)

分類

項目

総数

1人〜2人

3人〜4人

5人〜9人

10人〜19人

20人〜29人

30人〜49人

50人〜99人

100人以上

 

卸売業

商店数

従業者数

販売額

1,387

10,696

604,674

397

718

15,566

393

1,349

50,168

334

2,182

120,251

156

2,044

142,831

52

1,225

80,362

32

X

X

17

1,059

48,608

6

X

X

 

小売業

商店数

従業者数

販売額

2,705

10,292

158,192

1,566

2,672

27,228

695

2,303

32,523

290

1,790

28,321

91

1,227

22,846

34

775

11,251

21

X

X

6

428

10,768

2

X

X

 

飲食業

商店数

従業者数

販売額

1,013

4,220

23,188

484

857

4,575

319

1,079

5,960

158

951

6,042

27

333

2,495

8

189

1,270

9

322

1,360

8

489

1,486

    卸売業及び小売業は平成6年商業統計調査の数値、飲食店は平成4年の数値。Xは、秘匿数字です。

(東日暮里・西日暮里地区)

 「にっぽり」を日暮里と書くようになったのは、江戸中期の寛延(1748〜51)の頃からで、その以前は「新堀」といっていた。
 日暮里駅下車で高台に出ると、文人墨客が風流を愛した寺院が多く散在している。そのうち、本行寺は月見寺、浄光寺は雪見寺、修性院は花見寺といわれている。歌舞伎で有名な延命院もこの近くにある。諏訪神社は、鎌倉時代の頃、平塚城にいた豊島氏が建立したものであったが、後に大田道灌がこの地を江戸城の出城とした時、城中の鎮守にしたものだと云う。この地区の下町は四千余の町工場が屋根を連ねて群生していたが、その数も半減している現在である。石神井川を上流とする音無側がこの地を流れているが、現在は流れの上部は暗きょとなり半の流れである。
 この流れに沿って「羽二重団子」の店と豆腐料理の「笹の雪」がある。

  盛換えの茶碗もつもる笹の雪
  芋坂の団子屋寝たりけふの月

(荒川地区)

 住居表示の実施に伴って「三河島」の地名は消えたが、荒川地区は旧三河島地区が大部分であり一部は他地区に編入された所もある。この地区は区役所、消防署、警察署、郵便局等主要官公署が集結している地区である。それ以外の地域内は木材、家具、塗料、機械などの卸売業者が点散している。地区の中央辺りに宮路ロータリーと呼ばれている六叉路があるが、勿論現在、ロータリーは無く三の輪方面より王子方面は陸橋が架設されている。
 この地区も地場産業と謂われた家具工場やそれに伴う木材卸売業者が多かったが、近年その企業数は激減してかっての盛況はないのが現実である。

(尾久・町屋地区)

 都内で唯一走っている路面電車都電荒川線が走行しているのがこの地区である。全行程12.2Kmに、1日の乗降客約6万5千人で地区の住民の足となっている。荒川線は旧王子電車を戦時中東京都が買収したもので、他の路線が急激な車両の増加に伴って次々と廃止された中で、唯一現存する路線である。尾久地区は町工場が密集している。区内の五大産業といって家具、鉛筆、自転車、既製服、皮の工場が多いがその大半は下請け、再下請けなどの工場であったが、近年の経済事情や産業構造の変化に依って年々減少している現況である。
 又、町屋駅周辺は災害に強い町づくりと交通の要衝の地の利を生かした商業地として活性化するために再開発事業を勧め東西南北地区と中央地区の5区割に分け順次その事業を進め、現在、西地区・東地区・中央地区の三地区の事業が終わり区内商業地の中心的存在となって居り、他地区の事業が完了すると周辺一帯は近代的一大商業地区と変貌すると考えられる。

(南千住地区)

 この地区は町屋駅前地区と同様に開発計画の促進に依り大きく変わろうとしている。
 旧国鉄の跡地利用に依る約3000戸の住宅建設や常磐新線の導入に伴う南千住駅東側地域の動向と連携した、一体的な街づくりの推進や白鬚西地区再開発事業がそれである。防災性の向上と居住環境を改善し、隅田川の水辺を生かし、公園と一帯となった新しい街づくりに取り組んでいる。かって安政の大獄や桜田門外の変で処刑された吉田松陰や水戸浪士が埋葬された回向院はこの近くにある。往時の小塚原刑場も近代化の波の中に消却されて「語り草」とのみ残る事となる。